なぜ“ブランドロゴ全開”はNGなのか?― 学校行事におけるファッションの心理とルール

学校行事は「社会の縮図」である
日本社会において、子どもの学校行事――入学式、授業参観、運動会、卒業式など――は、単なる親の付き添いではない。
それは、家庭の価値観や“親としてのふるまい”が無言で評価される「儀式的空間」である。
この場において、「目立つ」「派手」「自己主張が強い」服装は、しばしば“空気を読めない行動”と見なされやすい。特に、大きなブランドロゴやハイブランド感の強いアイテムは、意図せずしてネガティブな印象を生むリスクがある。
ではなぜ、日本の学校行事において「控えめな服装」が“正解”とされるのか?
そこには、進化心理学・社会心理学・文化的規範に基づいた深い背景がある。
1. 進化心理学の視点:「目立つこと」はリスクである
人間は、集団内で浮きすぎる行動を本能的に避ける傾向がある。
進化心理学では、「異端」は集団からの排除リスクと結びついていたため、生存戦略として“同調”が強く発達したとされる(Barkow, Cosmides & Tooby, 1992)。
→ 特に日本社会のような「集団志向文化」では、控えめであることが安全な戦略となる。
つまり、行事の場で他の保護者より明らかに目立つ服装をすると、無意識のうちに「規範から逸脱した存在」として認識されやすくなるのだ。
2. 社会心理学の視点:「ロゴ」は自己主張のシンボル
社会心理学者ゴフマン(Goffman, 1959)は、人間の社会的ふるまいを「演劇」に例えた。
学校行事という“舞台”では、保護者としての役割=“親役”を自然に演じることが期待されている。
その場で過剰なブランドアピールは、「演技を無視した自己中心的なふるまい」と受け取られることがある。
→ 大きなロゴは、無意識に「私は他とは違う」というメッセージを発してしまう。
→ しかし、そのメッセージは協調を重視する場では「悪目立ち」になる可能性が高い。
3. 文化規範の視点:日本における“見えないドレスコード”
多くの日本人は、形式的なドレスコードが明記されていなくても、「何がふさわしいか」を暗黙の了解で読み取ろうとする。
これは、「高文脈文化(high-context culture)」の特徴であり(Hall, 1976)、言葉にされないルール――つまり“空気”――が、行動の基準となる。
→ この空気の中で、目立ちすぎる服装は「場に合わない」と判断されやすくなる。
→ 特に“子どもが主役”の行事では、親が主張しすぎること自体が「配慮不足」と受け止められやすい。
4. 実証研究:ブランド志向と社会的評価の関係
実際、ブランド表示の有無が人の印象に与える影響については、複数の研究が存在する。
たとえば Nelissen & Meijers (2011) の実験では:
- 同じ服でも、大きなブランドロゴが付いた場合は、権威的・支配的と評価されやすく
- ロゴがない場合は、親しみやすさや協調性が高く評価された
この結果は、学校行事のような「協調が重視される空間」において、過剰なブランド主張が不利に働くことを示唆している。
結論:「控えめ」は知性と配慮のサインである
子どもの学校行事において、親の服装は“静かなメッセージ”を発している。
それは、「わが子を第一に考えている」「場の調和を重んじている」という、無言の配慮の表現でもある。
だからこそ、ブランドを楽しむファッションセンスがあっても、ロゴを控えた上品さや清潔感で「TPOに応じたおしゃれ」を演出することが、日本社会では“スマートなふるまい”とされる。
参考文献(抜粋)
- Goffman, E. (1959). 『The Presentation of Self in Everyday Life』
- Hall, E.T. (1976). 『Beyond Culture』
- Barkow, J. H., Cosmides, L., & Tooby, J. (1992). 『The Adapted Mind』
- Nelissen, R., & Meijers, M. (2011). 『Social Benefits of Luxury Brands as Costly Signals of Wealth and Status』― *Evolution and Human Behavior*